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しまぞーり 私のウチナーグチ考 しまぞーり

1960年生まれ、一緒に住んでいた祖母や両親との会話は100%標準語、祖母、 両親間の会話は100%ウチナーグチで、それを聞いて育った私なりのウチナーグチに対する思い出や思 い入れを紹介します。

第46回 沖縄の信仰心を表すことば

現在iPODで沖縄民謡界の歌姫古謝美佐子のアルバム廻る命 の中の「黄金ん子」という曲をよく聴いているのですが、歌の合間にマブヤー、マブヤー、ウーティクーヨー (魂、魂、追っておいでよ)というセリフが登場します。マブヤーということばが何だか懐 かしいしいなあ、と思い、ここでこのマブヤー、マブヤーのような沖縄の信仰心を表すことばを 取り上げてみようと思いました。

ご存知の方も多いと思いますが、ウチナーンチュの大多数はトートーメー信仰です。もちろん、ヤマトと 同じような割合でキリスト教徒や新興宗教を信じる人もいますが、それ以外の人は仏教徒や神道信者と言 うより、祖先崇拝のトートーメー信者なのです。それも、ヤマトで言う普通の仏教徒くらいの、あまり 熱心ではない信者。「お陰様」とか「寿命」といったような仏教用語が日常よく使われているように、 沖縄ではトートーメー信仰に関わることばがよく使われています。

トートーメーとは位牌のことで、これが納められている仏壇の前に座り祈ることを御願(うぐゎん)うさぎーん と言います。うさぎーんは捧げる、お供えする、という意味です。うーとーとぅ、あーとーとぅ という言葉で始まるので、子供に対してはうーとーとぅしなさい(お祈りしなさい)、と言 うこともあります。このうーとーとぅは、「あな尊し」から来ているようです。御願(うぐゎん)は、 仏壇の前に限らず日常よく使います。たとえば、何をやってもうまくいかないとき、不運なことが続く とき、自嘲気味に御願不足(うぐゎんぶすく) かねえ、と言ったり、不運な友人に対し御願不足(うぐゎんぶすく) じゃないの、と軽口を叩いて笑いを取ったりします。そう言ったり言われたりしたからといって、真剣に 祈る人はほとんどいません。そうかもね、で笑って終わります。

前述のマブヤーは魂という意味ですが、この魂のことをタマシ(きっと魂から来ているのでしょう) と言うこともあり、こちらもよく使います。死ぬほどびっくりした、というのを沖縄では(たまし) ぬぎたん(魂が抜け落ちた)、と言います。このタマシを魂ではなく落ち着き、要領がいい、とい う意味で、(たまし)んねーらん (魂がない)と言うことがあります。落ち着きがなく、うっかりミスばかり重ねるような状態ですね。 うふそー(おっちょこちょい)とほぼ同義です。

信仰心の篤い家庭では、台所に祭ってある火の神(ひぬかん) にも、一日十五日(チィタチジュウグニチ) にはお茶湯(うちゃとぅ)うぶく( お供え用に湯呑茶碗に丸く盛ったごはん)をお供えして、うーとーとぅします。私の祖母は どちらかと言うと信仰心の薄い人で、家には火の神(ひぬかん) もありませんでしたが、今日は折目(うゆみ)、 とか言って、ときどき仏壇に御馳走を供えていました。どういう時が折目(うゆみ) なのか、今となっては知る由もありませんが、貧しい食生活だった昔は、そういう節目が御馳走を食べて 栄養をつけるのに大切だったのでしょう。

仏壇の前に御馳走を並べ、祈りをささげた後に、おばさん達がすっかり満足してとぅーとーん、 通っている、つまり祈りが通じている、と言ったり、御馳走の並べ方がずさんだったり祈りの言葉が おざなりだったりすると、うりしぇーとぅーらん、これでは通らない、と文句を言ったりして いたのも、今では楽しい思い出です。

30/01/13

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