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しまぞーり 私のウチナーグチ考 しまぞーり

1960年生まれ、一緒に住んでいた祖母や両親との会話は100%標準語、祖母、 両親間の会話は100%ウチナーグチで、それを聞いて育った私なりのウチナーグチに対する思い出や思 い入れを紹介します。

第35回 祖母のカンプー

オバアたちはもちろん、おばさんおじさんも亡くなる人が多く、沖縄に帰るたびに手を合わせ に行かなくてはいけない仏壇が増えているように感じます。戦前、戦中、戦後と激動の時代を生 きた人たちで、手を合わせながらもっともっといろんな話を聞きたかった、と思います。先日も 父の従姉のお仏壇に手を合わせながら、そのおばさんに数年前に偶然聞かされた話を思い出して いました。

 首里の実家で子供の頃一緒に住んでいた祖母は、私の知っている限りいつも沖縄の当時のオバア 特有の短髪パーマで、普段は木綿の地味なブラウスに黒のスカートか冬はウールの着物、よそ行き には化繊レースのスーツか正絹の着物に羽織を着ているような人でした。祖母より一回り上の世代 のオバアはいつでもウチナーカンプー(沖縄独特の長髪アップスタイル)、ウシンチー(琉装で、 帯を使わない着物の着方)といったいでたちでしたが、祖母がそんな格好をしているのは見たこと がありません。でも、祖父と結婚するまではいつも琉装で、カンプーも自分で上手に結ってきれい だった、と自慢していました。

 祖父の家は裕福な商家で9人兄弟の全員が高等教育を受け、いち早く琉装から和装に切り替えた ようです。貧しい育ちの祖母も祖父に嫁ぐ時に、琉装から和装に切り替え、長かった髪もばっさり 切って短髪にした、と言っていました。でも、前述のおばさんは数年前におしゃべりした時に、「 あなたのおばあさんはお嫁に来てしばらくは琉装だったのよ。いつもカンプーをきっちり結って、 とてもきれいだった」と言ったのです。初めて聞く話で、結婚と同時に和装に切り替えたと思って いた私は少し驚きました。

 「カンプーを解くと本当に長い髪の毛でね、足首まであったんじゃないかしら。遊びに行くと、 物干し竿で髪の毛を乾かしていることもあったのよ。」へえー、とその時は聞き流したのですが、 後で思い返すと、物干し竿でどうやって髪の毛を乾かすの?髪の毛を乾かしている祖母の具体的な 姿を思い描くことが出来ません。顔を空に向けて、物干し竿に髪の毛を乗せて立っているのか座っ ているのか。それともうっちんとぅー(俯く)しているのか。どれくらいの時間、その姿勢 で髪の毛を乾かしていたのか。シャンプーもない時代に何で洗髪していたのか。そんなに長い髪 の毛を洗うのは相当面倒くさそうだけど、どのくらいの頻度で洗髪していたのか。

疑問はどんどん増えていって、カンプーに関することだけでも聞きたいことは山ほどあります。 祖母やおじさんおばさん達に、もっといろいろ聞いておけばよかった。ときどき眺める写真の中の 祖母は、洋服や和服を着てにっこり微笑むばかりです。祖母が昔流装で写真に収まったことがある かどうか甚だ疑問ですが、あったとしても戦災で焼けて見ることはできなかったでしょう。あでや かな琉装の若い祖母を、タイムマシンに乗って見てみたいものです。

 

4/27/10

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