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しまぞーり 私のウチナーグチ考 しまぞーり

1960年生まれ、一緒に住んでいた祖母や両親との会話は100%標準語、祖母、 両親間の会話は100%ウチナーグチで、それを聞いて育った私なりのウチナーグチに対する思い出や思 い入れを紹介します。

第34回 日の丸・君が代

 今年の建国記念日2月11日はちょうどゴミ出しの日で、祝日なので少し朝寝坊をした私はあわ ててゴミを出して自宅に戻るとき、自宅から2軒先のお宅の窓からにょきっと日の丸が出ているの を見て、かなり驚きました。私は1987年に沖縄を離れ東京で暮らすようになってから、何度か 引越しはしていますがずっと集合住宅暮らし。現在の賃貸マンションに移ってから7年になります が、社宅や分譲マンションと違って人の出入りが激しく、同じフロアでも名前も顔も知らない人が ほとんどです。その日の丸の部屋にどんな人が住んでいるか全く分かりませんが、建国記念日以前 に日の丸が出ていたことはなかったので、おそらく最近越してきた人でしょう。

 自宅に入るや否や、「ね、ね、見て見て!」と夫に2軒先の日の丸を見せました。「変わってる よね。」と確認したら、「うん、初めて見た。」と夫。祝日に、一軒家の門や軒先に日の丸が掲揚 されているのは珍しくありませんが、集合住宅の狭い廊下に、大きな日の丸が掲揚されているのは 異様な感じです。上京したばかりの頃、普通の家の門に日の丸が掲揚されているのを見てびっくり した私も、日の丸・君が代にだいぶ慣れてきているのですが、集合住宅の日の丸には久しぶりに 動揺しました。

 沖縄が日本に復帰した12歳まで米軍政下だったので、はっきりした記憶はありませんが入学式 や卒業式で日の丸を掲揚し、君が代を歌った覚えはありません。幼稚園か小学校の低学年の頃、学 校で四角く切られた白い紙に赤いクレヨンで丸を書いて塗りつぶし、それを小さな竹ざおに貼っ て日の丸の小旗を作り、行事の時に皆で振ったことは何度かあったような記憶はあります。

 小学生の頃、音楽の教科書の最後には必ず「君が代」が載っていて、音楽大好き、教科書に載っ ている歌は全部歌ってみたい楽器で演奏してみたい私はある年、毎年教科書に掲載されながら一度 も取り上げられたことのない君が代を、どうして歌わないのですか、と担任の先生に尋ねたことが ありました。先生は「そう、ねえ。。。」と困ったような顔をしただけで、明確な説明は何もなく、 結局その年も君が代は歌われませんでした。その時私に君が代が国歌である、という意識は全くな く、音楽の教科書に毎年載っているのに決して歌われることのない、他の歌とはちょっと違う陰気 な歌、という印象が残っていきました。

復帰後も、式典の時に国旗が掲揚され国歌が歌われることはなく、私も徐々に、沖縄の人は戦争 の辛い記憶と密接に結びついている日の丸・君が代を掲揚したり歌ったりしたくないのだな、と 理解しました。自分たちがあんなに望んだ祖国復帰も理想とは程遠い実態で、復帰後も相変わらず 米軍基地は沖縄に残っているし、素直に国旗を掲揚し国歌を歌う気持ちになれないことも。

沖縄で堂々と日の丸を掲げているのは右翼の街宣車くらいなので、私のような普通の戦後生ま れのウチナーンチュにとって、「日の丸を揚げ国歌を歌う人は右翼」というイメージがあると思い ます。だから、子供たちの入学式・卒業式で出席者全員が起立して国歌を歌うことに、最初はかな り戸惑いました。何しろ、それまで国歌斉唱したことがないんですから。そういう場合、一応起立 しますが、歌いません。最初は「うわ、みんな歌ってる!」と驚くばかりで歌えなかったし、私右 翼じゃないしなあ、とも思ったし。最近は、日本政府の沖縄の扱いはやはりひどい、国歌を歌うと いうことはそれを甘受することのような気がして、かなり抗議の意思を持って、歌いません。

昔、具志堅用高がボクシングで世界チャンピオンになり13度防衛した時、防衛戦は全てテレビ で放映されましたが、試合前には必ず国歌斉唱がありました。その時具志堅の表情もちらちらと 映っていましたが、ぼうっとしていて(もしかして緊張していて?)歌っていませんでした。防衛 戦も後半になると口をすこし動かしているように見えましたが、やはり歌ってはいなかったと思い ます。その当時の具志堅に、今の私のような抗議の意思があったとは思えません。単に国歌斉唱の 習慣がなく、歌えなかっただけではないでしょうか。普通のウチナーンチュは、思想的にどうとい うことではなく、単に子供の頃から聞くばかりで歌っていないので、歌えないのだと思います。

しかし私の両親のように、昭和一ケタ生まれで教育勅語を叩き込まれた世代はちょっと違います。 彼らが国歌を歌わないとしたら、歌えないのではなく明確な意思を持って歌わないのだと思います。 日本国民として、軍国少年・少女としてあんなに頑張ったのに裏切られたという意識が強い。だか ら歌いたくないけど、子供の頃さんざん歌わされたから歌える。それがまた悲しく、辛い。そうい う感じがします。私の母はあまり歌を歌う人ではないのですが、我が家に初めてピアノが届いた晩 に、人差し指で一音一音鍵盤を押さえながらこっそり歌っていたのは「白地に赤く 日の丸染めて  ああ美しや 日本の旗は」でした。本人に確認したわけではありませんが、おそらく学校で一番 最初に教わり、一番回数多く歌って体にしみついている歌なのでしょう。

日の丸に関するウチナーグチの思い出と言えば昔、私が高校の教員をしていた頃、ダンボールに入 った学校の古い備品(ガラクタ)を整理していたら、おそらく式典で飾られる用の日の丸が出てき ました。当時は「日の丸・君が代問題」がクローズアップされていたこともあり、しまった、厄介 なものを見つけてしまった、と思った私はすかさず教務主任に「こんなものが出てきたのですが、 どうしましょうか。」と相談しました。せっせと事務仕事をしていた主任は日の丸を一瞥すると 仕事の手も止めず、さりげなく「してぃれー(捨てろ)」と一言。えええ、そんなことしていいんで すか、という困惑と驚き、やっぱり、という安堵の気持ちが混ざって変な気分になったことは覚え ているのですが、そう言われた私が実際どうしたかは、正直全く覚えていません。

ことほどかように、ウチナーンチュにとって日の丸・君が代に対する思いは複雑です。今は、客観 的に見て日の丸はシンプルで美しいと思うし、子供の頃は陰気で古臭く思われた君が 代も、楽曲としてよく出来ていると思います。私のような普通のウチナーンチュが、 米国人(あめりかー)が国歌を歌うように、何の屈託も なく国旗の前で国歌を歌えるようになるといいと思います。

 

3/26/10

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