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しまぞーり 私のウチナーグチ考 しまぞーり

1960年生まれ、一緒に住んでいた祖母や両親との会話は100%標準語、祖母、 両親間の会話は100%ウチナーグチで、それを聞いて育った私なりのウチナーグチに対する思い出や思 い入れを紹介します。

第13回 鉄筋コンクリート 

 今年2005年はハリケーン・カトリーナが米国南部で未曾有の被害をもたらし、その前に日本列島に 襲来した台風も死者20名を超す大きな被害をもたらしました。命を失った人々はもとより、生活の基盤 を失った人々には心から同情しますが、昔は台風銀座と呼ばれた(最近は耳にしなくなりましたね)沖縄 で生まれ育った私にはその被害の大きさが、今ひとつピンとこないのも事実です。木が倒されたり看板が 飛ばされたりすることはあっても、人的被害を聞いたことはほとんど無かったからです。

 私が子供の頃、多少なりとも農業に携わった経験のある大人たちは「台風も時々は来て、野菜についた虫 を落としてくれないとね。」と言い、子ども達は学校が休みになることを期待し、どちらかというと怖れ ると言うより心待ちにしていたような気がします。大きな台風が来ると停電し、ラジオを聴きながらろうそ くの光で、普段は絶対に参加しない父や母も交えてトランプに興じ、お腹が空いたらパンやお菓子を食べる のが、本当に楽しくて仕方がありませんでした。

 台風の規模や強度が大きくなっているのは地球温暖化の影響である、という説もあるようですが、子供の 頃私がよく聞いたのは、「終戦直後のテント(ヤー) の時にはあんなに大きな台風が来て哀れ(アワリ) したのに、コンクリートの頑丈な家になったら弱い台風しか来なくなった」という話です。沖縄には高い 山や大きな河川がないのも、規模の割に台風被害が小さい原因でしょうが、ほとんどの家が鉄筋コンクリート になっていることも、見逃せません。

 そして、鉄筋コンクリートの民家が当たり前なせいかどうか、ウチナーンチュは強さの比ゆとして、 会話の中でコンクリートを登場させる機会が多いような気がするのです。今回はその例をご紹介しましょ う。 

 今は亡き沖縄の伯母と電話でおしゃべりをし、「伯父さんも元気?」と聞くと、彼女は必ず「うちの とうちゃんねー?コンクリーみたいに元気さあ。」と答えていました。 

 数年前母子家庭で育った友人が立派な家を新築し、ずっと市営団地住まいだった母親も呼び寄せて一緒 に暮らすようになったとき、「本当に良かったですねえ。」とそのお母様に申し上げたら、「でも借金コ ンクリートってよ。」とおっしゃった後に、ほほほ、と上品に笑われたのでした。

 これも数年前の話。だいぶ夫婦仲が怪しくなっていた友人に「最近、どう?」と聞くと、「私と彼との 間の溝には、鉄筋コンクリートも打ち込まれたわ。」という返事。ひょえー、聞かなければ良かった、と 後悔し、離婚は避けられないかと思ったものですが、その後二人の関係は持ち直し、今は平穏無事に暮ら しているようです。「コンクリーはどうやって撤去したの?」といつか聞いてみたいものです。 

 沖縄では家を新築するということは、鉄筋コンクリートの家を建てるということなので、基礎工事から 完成するまで何ヶ月もかかります。東京に来たばかりの頃、近所に数週間でそれこそあっという間に豪邸 ができるのを見て、心底びっくりしました。こちらでは沖縄ほど鉄筋コンクリートが身近でないせいか、 話題に上ることもほとんどないように思われますが、どうでしょうか。  9/21/05

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