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応援団
寄稿]
 
くわっちーさびら・その9  
文・写真
稲福 達也
あこがれの日本
“甲子園の土”といえば、今も語り継がれている話がある。まだ祖国復帰の光明も見えない1958
年、甲子園の第40回記念大会に沖縄から首里高校が初出場した。その時選手たちが持ち帰った甲子園の土が税関の検
疫で“外国の土”とされ、帰郷した船の上から海に捨てられたのだ。しかし、選手たちの夢と思い出を打ち砕いたこ
のニュースに心を痛めたひとりのスチュワーデスが、土の代わりに甲子園の小石を拾い、沖縄便の同僚に託して選手
たちに届けてくれた。−乙女の心こめた贈り物−と報じた当時の新聞に「本土の人たちが、われわれのことをこんな
にまで考えてくれたのかと、感激のほかありません」 という主将の言葉があるが、それは県民共通の感慨だったに
違いない。その小石は、「友愛の碑」として今も首里高校の校庭にある。
その一連の出来事は『日本の土』という歌にもなり、当時8歳だった私も首里高校に進学してこの歌を、特に
“あこがれの日本の”というフレーズを、感傷的に声高に歌った。
一、若い希望をたぎらせて
渡る黒潮甲子園
あこがれの日本のこの土
ああ、ビニイルにこの土を
つつめばしみる夢の香よ 夢の香よ
二、とどく願いは思いでも
絶えて久しき十余年
あこがれの日本のこの土
ああ、きびしきはそのさだめ
見送る瞳光る露 光る露
三、燃えるひんがし暁に
結ぶ心の虹の橋
あこがれの日本のこの土
ああ、エンゼルのその胸に
抱かれて今ぞ首里の空 首里の空 |
 友愛の碑=贈られ
た甲子園の小石 |
戦後60年の夏、甲子園の熱戦も終わった。甲子園の土を“あこがれの日本の土”と歌ったのも遠い日のことだが、
広大な米軍基地を抱える沖縄の現状はいまだ変わっていない。
 
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