8月19日
昨日夕方沖縄着。今日は平和資料館を見学した後、ネットで見つけ、行きたいと思っていた知 念村のハーブレストラン「くるくま」で昼食を取り、「ちゃんぷるー」のホットスポット第一号にする 予定の「セーファー御獄」の写真を撮り、時間があれば海水浴に行く、という密なスケジュールだ。平 和資料館に行くことにしたのは、娘が戦争のことを理解できる年になったので連れて行きたい、と夫が 主張したからだ。残念ながら平和資料館は休館日だった。「平和の礎」のあたりをぶらぶら歩き、摩武 仁の丘に立つ。少し海がぼやけ、空は曇っているが絶景。でもあまりにもきれいに整備されていて、違 和感を覚える。子供の頃来たときには戦没者の魂が海から大気から立ち上ってくるような感じがあった 。

平和資料館の代わりに「ひめゆりの塔」に行くことにする。色の真っ黒い、妙に愛想のいい青 年が「塔」手前の駐車場に案内してくれる。お粗末な板にお粗末な字で「ひめゆりの塔専用駐車場」と 書かれた看板が掛けてある。駐車場の敷地内には大きいけれどかなり古いコンクリート建の土産屋兼食 堂があり、車から降りるとガリ版で刷って適当に切ったような大きさの不ぞろいな、さまざまな割引券 を渡された。大した産業もない島で生活がかかっているのは分かっているが、少し悲しい気持ち。この わずかな悲しさは、駐車場を出て塔に向かう道端にある土産屋を見て怒りに変わった。サングラスをか けた小さなシーサーが店の入り口にたくさん並べてあり、壁一面にムームーだのアロハだのが並べて掛 けてある。それはいいのだが、アーミー柄の子供用のつなぎや米軍払い下げのシャツだの水筒だのも並 べてある。
実は今日息子の着る物を選ぶとき、アーミー柄のショーツにしようかとふと思ったのだが、今日の予定 、つまり戦没者の慰霊のための場所を訪れることを考え、プレーンな無地のショーツとTシャツにしたの だった。それなのに、というわけでもないが、何もひめゆりの塔のそばで米軍の払い下げ品を売らなく てもいいんじゃないの、と思ったのである。あまりにも悪趣味だ。

むかむかしながら歩いていると、小さな花束が屋台にたくさん並べて売られている。一束30 0円。娘に手向けさせようと思い、一束買う。ひめゆりの塔が視界に入ってきた途端、目が曇る。塔の 前で娘が花束を手向けていると、「この花、持っていってまた売っているってよ。」と一緒についてき た母が耳打ちする。あーあ、本当にそうかもしれないけれど、聞きたくなかった。 周りの景色がどう 変わろうと、周りでどんなにあこぎなことが行われていようと、塔の前の壕の入り口は変わらず戦争の 悲惨さを訴えかけてくる。
手を合わせてから、資料館へと足を運ぶ。館内入り口に旧盆のため語り部はお休み、という内容のお知 らせが掲示されていたが、展示室に入るとすぐ「宮良」という名札をつけた女性が語っていた。テレビ で何度か見たことのある、ひめゆり部隊で生き残った語り部の方である。娘や母ともどもゆっくりと歩 いていってお話を伺った。非常に説得力のある語りで、何度も涙が出てきた。お話が終わったとき自然 に皆頭を下げていた。次の展示室では、宮良さんよりいくぶん若い語り部の方が話されていた。女学生 が大きな白い花だと思ったのは、実は死んでうじ虫だらけになったお婆さんであった、という話のとこ ろで「あなた、うじ虫って知ってる?」と聞かれた娘は、無言で首を横に振っている。そうか、私の子 供たちはうじ虫を見たことがないのであった。そんな彼らに戦争の悲惨さを感じさせるのは、思った以 上に大変なことなのかもしれない。先の宮良さんに比べると控えめで迫力に欠けると思われたが、話し 終わったときにはやはり全員、「ありがとうございました。」と頭を下げた。語り部の話を聞く意義は 大きい、と感じた。